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非日常が
まるで当たり前の日常かのように
転がっていた時代でした。
物々交換で食料を確保する為、
子供をおぶって 山の峠道まで通ったり
小学校では先生方と畑作業をし、
戦後は教科書に墨で線を引き
昨日までの正義が嘘だと知りました。
母方の叔父は、旧ソビエトによる侵攻で
抑留されました
料理を振る舞うのが好きで、
庭で娘達の散髪をしてあげる
手先の器用な人だったそうです
過酷な環境の中 生き延びて
何とか帰って来られましたが、
家族に暴力を振るう様になりました。
いつも何かに怯えては暴れ
手がつけられなくなったそうです。
当時はPTSDなどという概念は無く、
「ソビエトに洗脳された」 と
近所や友人、家族でさえ
抑留帰還者を避けるような風潮でした。
抑留から帰還した叔父は
暴れる時、いつも
「許してくれ‼︎‼︎」と叫んでたそうです
私の父は
「髪や目の色が違っても
彼らにも帰りを待つ 家族や友人がいる
それを分かっていても
撃たなければいけないのが辛かった」
と、教えてくれました。
戦うことで誰かを救える
これは正しい事
そう信じていました
でも誰も救われなかった
私達世代がいなくなっても
覚えていてください