黒猫ばぁばの好きなことだけ

甘味と文具とひとり言

8/15

非日常が

まるで当たり前の日常かのように

転がっていた時代でした。

 

 

 

物々交換で食料を確保する為、

子供をおぶって  山の峠道まで通ったり

 

 

小学校では先生方と畑作業をし、

戦後は教科書に墨で線を引き

昨日までの正義が嘘だと知りました。

 

 

 

母方の叔父は、旧ソビエトによる侵攻で

抑留されました

 

料理を振る舞うのが好きで、

庭で娘達の散髪をしてあげる

手先の器用な人だったそうです

 

過酷な環境の中  生き延びて

何とか帰って来られましたが、

家族に暴力を振るう様になりました。

 

いつも何かに怯えては暴れ

手がつけられなくなったそうです。

 

 

当時はPTSDなどという概念は無く、

ソビエトに洗脳された」 と

近所や友人、家族でさえ

抑留帰還者を避けるような風潮でした。

 

抑留から帰還した叔父は

暴れる時、いつも

「許してくれ‼︎‼︎」と叫んでたそうです

 

私の父は

「髪や目の色が違っても

彼らにも帰りを待つ 家族や友人がいる

それを分かっていても

撃たなければいけないのが辛かった」

と、教えてくれました。

 

 

 

戦うことで誰かを救える 

 

これは正しい事

 

そう信じていました

 

でも誰も救われなかった

 

私達世代がいなくなっても

 

覚えていてください